はじめに
この御言は李ヨハネ先生が、一九八四年二月、東京教会で語られた説教です。
(「信仰と生活 第三集 (光言社)」に収録。)
愛の結実期
今回皆さんにお話ししようとすることは、今は、私たちの中にある愛の心情を結実すべき時代だということです。愛の実体になり、神の実体になり、今まで神を信じてきた自分を愛する、愛の時代が来たというのです。
1. 自分から愛を結実させなければならない
神の願いはアダムとエバが永遠なる真の父母として出発することでした。復帰摂理においては、歴史の中で複雑に絡まったものを解き、地上に真の父母による家庭を再創造しようとして来られました。今は真の父母を中心として、完全に落減の歴史が清算されたときを迎えたのです。
愛勝日という言業は、ヤコプのときから始まりました。ヤコブが二十一年路程を勝利して「イスラエル」という称号を得たことが、蘇生期の愛勝日を越えたときであり、イエス様によって長成期の愛勝の丘を越え、完成時代には真の父母の家庭を中心として、最後の愛勝日を越えたのです。
真の父母によって蕩減の歴史が清算され、解放された息子、娘になった私たちは、これからは自分自身が愛をさせなければなりません。ほかの人ではなく、正に私自身から愛が始められなければならないのです。
サタンの主管下にいた私たちは、堕落人間の立場でしたが、真の父母によって主管を受けたときから、すでに堕落人間ではありません。このようにだれと関係を持つかが重要です。人間の一生を見ると、親子関係、兄弟関係、学校の先生との関係、また会社での上下関係などを結んで生きていきます。関係がよい生活になれば、悩みや悲しみなどあるはずがありません。しかし関係を無視すれば、不幸になるのです。
私たちは、聖日と月初めに礼拝をささげることで神と関係を結びます。月初めと聖日の基準を新しく価値視するのは、生きた生活です。しかし、その基準をあいまいにして神との関係を結べないのは、ちょうど自殺することと同じです。関係を無視する人は疲れやすく、心情が下がります。自分で自分を殺すようなものです。
ある人が水に落ちて死んだというとき、水がその人を殺したのではありません。自分が水を主管できなくて死ぬようになったのです。水の中に入れば、主管するか主管されるか、すなわち浮かぶか沈むか、二つに一つです。同じように信仰路程においても、自分が自分を主管すれば勝利するようになり、できなければ敗北してしまうのです。
結局、関係を無視し、関係の価値を高めなければ、人間は失敗します。関係を貴重に思う人は生きるようになり、関係を無視する人は疲れるようになって徐々に枯れ、窮するようになります。人がそうさせるのではなく、自分自身が愛を捨てるからです。自分が平和、希望、力を捨てるのです。

