愛の結実期

2.人間は愛の実体

私たちは成長しなければなりません。自分の価値基準を高めなければなりません。愛によって創造されたのが私たちです。神は愛の本体なので、対象を創造せずにはいられませんでした。それゆえに、人間の本性は愛であり、人間は皆愛の性質を豊かに持って生まれた、愛の実体なのです。愛の主体者を尊重し、喜びにあふれて暮らすべき私たちです。

ですから、礼拝や儀式、条件などに対して、自分の心から自発的にではなく全体に引っぱられていく場合、心霊は乾くようになり、マイナスになるのです。しかたなく歩む信仰路程である場合、心霊は乾き、愛の性質を失ってしまうようになります。愛の実体としては愛を豊かに持たなければならない私であるのに、愛を失ってしまうのです。

喜びにあふれて活動するのが、私たちの本然の姿です。活動も喜びを増し加えるための活動でなければならず、愛の復帰のための活動になり仕事にならなければなりません。喜びを土台に、力と希望があふれ出ます。喜びを失った生活には希望がなく、未来もありません。なぜなら喜びを失った人は現実に支配され、打撃を受けるからです。

喜びにあふれている人は、迫害を受けても、無視されても、影響を受けません。人の失敗や短所を見ても、それ自体を見るのではなく、神と関係させて見るので、視点が違ってきます。喜びにあふれて撃らす人は、いくら雨が降っても雪が降っても、環境が間題とはならず、かえってその環境によって、もっとみ旨に対して積極的な心を持つようになるのです。

ヤコプは、驚くはどみ旨に積極的な人でした。彼の路程は困難が多かったのですが、ただ目的だけに向かって歩みました。人間間係で悩みませんでした。ラバンからは信頼を得、僕たちからは尊敬を受けました。いろいろな難しい曲折の路程を、愛の力、本性の力で通過したのです。

神はヤコプを、神までも疑わざるをえない死亡の窮地に追い込みました。しかし、ヤコプはベテルで石の柱を立てて誓った神との基準を生命視し、しっかりと勝ち抜いたのです。それゆえ神は彼の名前を、神と戦って勝った象徴として、イスフエルとせよと言われました。このイスラエルという名前は、すべての信仰路程の中で、人間関係、神との関係、そのほかすべての関係において愛で勝利したという意味です。